2.江戸時代の焼酎

 薩摩藩主の島津氏は焼酎を南蛮渡来の高価なものとして、室町時代から将軍家への献上品の一つにしていました。そのころは米焼酎です。
 江戸時代、島津家久は琉球王朝(奄美、沖縄)を侵攻の末に降伏させた後、駿府の徳川家康に琉球酒を献上しました。この琉球酒には奄美の黒糖焼酎も含まれていたようです。当時、米より貴重な黒砂糖が原料だったことなどもあって、これらは庶民が口にできない高級酒だったわけです。

 その頃は単に飲用としてだけでなく、薬用としても珍重されていたそうです。食中毒や暑気あたりの特効薬として飲んだり、刀傷の消毒に使われたり。浅野内匠頭に切りつけられた吉良上野介の額の傷の手当ても焼酎でされたとも言われています。

 このように焼酎が広く知られるようになると、大名が国元で刀傷の消毒などのために清酒粕(かす)を原料とした「粕取焼酎」をつくらせ始めます。そして清酒業の副業として広く行われるようになるのですが、これは薩摩の焼酎や琉球酒のような「もろみ取り焼酎」とは違ったものでした。これらを区別するために、当初は「焼酒」と呼んでいたものを「泡盛」と後に薩摩が命名したという説もあるようです。尚、薩摩の焼酎も泡盛も明確な区別はされていなかったとも言われています。

 いずれにしても当時の京や江戸の知識人たちの認識不足も手伝って「焼酎とは清酒の粕を蒸留したもので、薩摩には焼酎に似た泡盛という強い酒がある」とされてしまいます。

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